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山口和幸のツール・ド・フランス取材レポート#5
「ツール・ド・フランスと街の人々」

16/07/30

たとえばカーナビにツール・ド・フランスのゴールとなる町を目的地に設定してコースをクルマで走ってみる。そうすると、ときおりカーナビが合理的に選択した道案内を外れてわざと町のど真ん中をコースが通っているのに気づく。そこは常に歩行者天国であるような非常に狭い目抜き通りだったり、石畳みが敷き詰められた美観地区だったりする。

コース設計をする際に競技として安全面を配慮するならこんな危ない道はカットするはずだ。そうではないところがツール・ド・フランスである。訪れる町の人たちが一番楽しめるにはどうすればいいか。それはいつものカフェに座っていれば、自宅の窓からながめていれば世界の一流プロ選手のほうからそこに来てくれる。そんなスポーツイベントがほかにあるだろうか。

ツール・ド・フランスがやってくる町は、それに合わせてお祭りになる。毎年コースが変わるので運がよければ10年に一度は自宅の前を通過するけど、一生に1回の機会しかない場合も多いんだと思う。スタートあるいはゴールとなるホストシティにとっては絶好のチャンスだ。世界中から記者やカメラマンがやって来て、その名を報じてもらえる可能性があるからだ。

農作業の手を休めて広告キャラバン隊の到来に手を振る(©ASO/B.Bade)

レース終盤に訪れたスイスのベルンは休息日を入れて3日、アルプスのムジェーブも3日間にわたって大会のホスト都市となった。ベルンは首都だが、ムジェーブなんて人口3,500人の集落だ。ただしMTBワールドカップを誘致するなど自転車を活用した観光に力を入れていて、周囲には舗装路から未舗装路まで楽しいコースが盛りだくさん。 「そこをピーアールしたいの」とムジェーブ市のプレスアタシェ、クレマンティーヌ・シャルダンさん。
世界中からやってくる人たちを歓迎するために、町のショーウィンドウを黄色と緑と赤玉と白で装飾してもらい、各国記者にその町を紹介する資料を配布して回っていた。

ベルンからフランス国境を目指す沿道でも、ムジェーブ周辺のコース脇でも長いバカンスを利用した観客が思い思いの時を過ごしている。現地に足を運んだ日本人が最初に感じることは、必ずしもみんながレース展開を気にしていないということだ。もちろん選手が来たら熱い声援を送るのだが、朝早くから、場合によっては前日からコース脇に陣取り、まずは自分たちの楽しみを見つけてさまざまな時を過ごしているのが一般的だ。もはやこの人たちにとってツール・ド・フランスは雌雄を決する競技というよりも、地域の社交や家族や友人との娯楽のきっかけなのである。

洗濯を干しているのではなくゲットしたグッズを並べて歓迎しているのだと思う(©ASO/P.Ballet)

今大会の勝負どころであったモンバントゥーでは、強風予想によって山頂にいたる6kmの区間が短縮された。そのため観衆が山麓部分に集中して身動きのできなくなったカメラバイクにフルームが激突。自転車が壊れてしまったフルームがランニングでゴールを目指すというとんでもないハプニングが発生した。そのときの現地のサルドプレスはどんな状況であったか? さすがにフルームの不運は気の毒そうだったが、「そういったことを含めてツール・ド・フランスなんだ」という雰囲気だったのが正直なところである。

最終走者のマイヨジョーヌがやって来た。興奮は最高潮に(©ASO/P.Ballet)

真夏のフランスを駆けめぐる23日間の祭典。沿道の観客1,200万人。自宅から脚を伸ばせば見に行ける人もそうでない人も、毎年フランスに夏がやってくるのを心待ちにしている。そして日本から現地にやって来る熱心なファンも年々増えているようだ。 「結婚式をフランスで挙げたというカップルに会いました。人生最大のイベントにツール・ド・フランスを絡めて。みんな楽しんでくれているんだなあ」
今年はフランス観光親善大使に就任して、フランスの魅力を発信する役割も担う新城幸也が証言している。

近代オリンピックをしのぐ103回という永い歴史。テレビ放送190カ国、総放送時間6,300時間という世界最大の自転車レース。その本質が10月にさいたまにやって来るというのだから、日本にいながらにしてさまざまな楽しみが期待できると思う。

文:山口 和幸

 

山口和幸
スポーツジャーナリスト。日本国内におけるツール・ド・フランスを取材する第一人者。
1989 年にツール・ド・フランス初取材、1997 年から現在まで、全日程を取材している。
著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」など。

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