お知らせNEWS & TOPICS

【マイヨジョーヌ(7/6更新)】
山口和幸の現場30周年ルポ #1

19/07/06その他

ツール・ド・フランス2019の開催期間中、SNSでツール・ド・フランス現地レポートをお届けしている、ライターの山口和幸さんのミニコラムをHPにてご紹介します!
現地で取材をして今年で30周年となる山口さんならではのコラムをお楽しみください!


マイヨジョーヌ (7/6)

ツール・ド・フランスにはさまざまな賞が設定されていて、初めてテレビ観戦する人は「どれに注目したらいいのか?」と戸惑ってしまうだろう。しかも大会日程は23日間で、毎日のように各賞の受賞者が変わっていく。日々のステージ優勝者もいれば、総合1位もいる。さらにリーダージャージは4種類。
かつて来日したベルナール・イノーに「どれが一番エラいのか?」と聞いたことがある。イノーは総合優勝5回の実績を持つフランスの英雄で、当時は主催者の渉外担当として大会の顔とも言える存在だった。

イノーは質問にきっぱりとこう答えた。
「個人総合成績の1位が着用するマイヨジョーヌだ」

個人総合成績で1位の選手は「マイヨジョーヌ」とよばれる特別のジャージを着用して走るというルールがある。マイヨはジャージ、ジョーヌは黄色という意味のフランス語だ。ただし1903年の第1回大会からあったわけではない。

第一次世界大戦による4年間の開催中止を経て、1919年にツール・ド・フランスは再開された。この第13回大会から「マイヨジョーヌ」が登場した。
「集団の中でだれが首位の選手なのかを見分けられるようにしてほしい」という記者からの要望だった。シンボルカラーを黄色にしたのは、主催するスポーツ新聞「ロト=現在のレキップ」の紙の色が当時は黄色だったからだ。
この年の第1ステージで優勝し、初めてマイヨジョーヌを着用したのはウジェーヌ・クリストフだった。1913年のツールマレー峠でフレームを折り、自転車を担いでふもとの村まで14km歩き、村の鍛冶屋に飛び込んで自らの手で溶接してレースを続行したという伝説の選手だ。

しかしマイヨジョーヌを着たクリストフの身に再び不運がふりかかる。総合2位に30分差をつけながら、最後から2番目のステージでフロントフォークを折ってしまい、2時間という致命的な遅れを取る。マイヨジョーヌを手放すことを余儀なくされたのだ。


クリストフが飛び込んだ鍛冶屋は現存する


鍛冶屋があった村にはクリストフの銅像がある

ライター/山口 和幸 Kazuyuki Yamaguchi

ツール・ド・フランス取材歴30年のスポーツジャーナリスト。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」。大会期間中は、Twitter(@PRESSPORTS)やホームページで現地情報を発信。

一覧