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出場選手紹介 第1弾「クリス・フルーム」

15/09/04

2015年のツール・ド・フランスで2年ぶり2度目の総合優勝を達成した英国のクリス・フルームが3年連続で来日する。ツール・ド・フランス覇者としての称号である黄色いリーダージャージ、マイヨジョーヌを着用してさいたまクリテリウムに参戦するのだから楽しみだ。

フルームのプロ初勝利は2007年のツアー・オブ・ジャパン伊豆ステージなので、日本のファンは親近感を感じている人も多い。南アフリカ登録のコニカ・ミノルタチームでプロデビューしたフルームは、静岡県伊豆市の日本サイクルスポーツセンターでぶっちぎりのステージ優勝を果たしたのだが、優勝者インタビューでは常に微笑みを浮かべ、記者の質問に丁寧に答える姿が印象に残っている。「ボクはケニアに生まれて南アフリカで育ったから暑さに強いんだ」と語っていたことを記憶している。

さいたまにやってきたときもフルームはとびっきりの優等生だった。サインをせがむ日本のファンの最後のひとりまで応じていて、その温かみを知る人も多いはずだ。キューピー人形のような屈託のない笑顔は、しつけの厳しいお母さんから「こうしなさい!」と教えられたかのような礼儀正しさを見せる。どこから見ても非の打ちどころのない好青年だ。

2013年にツール・ド・フランスで初優勝したときは、「ケニアの未舗装路でマウンテンバイクを走らせていた少年時代から、ここまで上り詰めることができた」とうれしさを口にした。そして、「マイヨジョーヌは人生を変える魔力を持つとだれもが言うが、ボクはこれからも変わりたくない。これからもツール・ド・フランスにチャレンジすることを楽しみたい」とどこまでも謙虚だった。もちろんその言葉は事実だ。どんなにスーパースターになっても、ツアー・オブ・ジャパン伊豆ステージの頃とまったく変わっていない。

そういった人当たりのよさを見せながらも、ロードバイクにまたがると別の人間性が垣間見られる。2012年はチームスカイでエースのブラッドリー・ウィギンスのアシスト役だったが、遅れがちなウィギンスを振り返りながら「ついてこられないの?」とばかりの表情。さらに「早く来いよ!」とばかりの手振りまで見せつけた。

勝てるところは全部持っていくという強い執念も感じた。両親は英国人で、ケニアの首都ナイロビに住んでいるときに生まれた。ロンドン五輪直前に英国籍へ。特異な境遇をもつフルームだが、その人格形成において品行方正ながらもやるべきところは他に譲らないという、したたかさを築いていったのかもしれない。

2014年のツール・ド・フランスでは大会4日目の第2ステージで落車して、右手首を痛めた。翌日は雨となり、濡れた舗装路で2度も落車。手首を骨折してリタイアした。しかしながら1年後にはその悔しさを見事に晴らした。21区間のうち16日にわたってマイヨジョーヌを着用したので記録から見れば圧勝と思われがちだが、後半はモヴィスターチームのナイロ・キンタナ(コロンビア)に攻撃され、アシスト陣の必死の援護で逃げ切った。

「マイヨジョーヌを16日間も着用し、常にそれを誇りと思って走って来たが、長い道のりだった。ストレスの多いこともたくさんあったが、この勝利はボクにとって大きな意味がある」
パリでそう語っていたフルーム。世界中の自転車選手が一度は手に入れたいと夢見るマイヨジョーヌをまとって、今年もさいたまにやってくる。ツール・ド・フランス総合優勝者としての誇りを胸に抱いて。

 文:山口 和幸

山口和幸
スポーツジャーナリスト。日本国内におけるツール・ド・フランスを取材する第一人者。
1989年にツール・ド・フランス初取材、1997年から現在まで、全日程を取材している。
著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」など。

 

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