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山口和幸のツール・ド・フランス取材レポート
#2「いざ、ツール・ド・フランスへ」
ツール・ド・フランスがオランダで開幕するのは6回目となるが、2015年7月4日に始まる第102回大会はオランダ第4の都市ユトレヒトを出発する。この町はミッフィーの作者、ディック・ブルーナが生まれた町で、ちょうど60年前のミッフィー本出版にちなんでの開幕地招致だった。
このように、ツール・ド・フランスはヨーロッパの歴史や文化の足跡をたどりながら、世界最高峰の舞台レイアウトを脈々と描いていくのである。
大会はオランダで2日間を過ごし、3日目にベルギーへ。200年前の1815年にフランスのナポレオン軍はベルギーのワーテルローで大敗したのだが、今年のツール・ド・フランスでその史実は無視。その代わりに同じ200年前、パリに凱旋するときに通った「ナポレオン街道」を第18ステージで通るんだと主催者は強調している。やはりナポレオンはフランスの英雄だからかな。
ボク自身がツール・ド・フランスを初取材したのは1989年7月14日。あれから取材歴は四半世紀を超えたが、四半世紀の取材歴とは言え、それでも4分の1しか目撃していないことになる。
なぜツール・ド・フランスの歴史は停止しないのか?
その理由のひとつはこの大会が「コンペティション」であると同時に、欧州の中核となるフランス経済のけん引者であり、ひろく庶民に高揚感を与えてくれる「真夏の娯楽」であるからにほかならない。つまりツール・ド・フランスはフランスの、いや欧州文化そのものといっても過言ではない。
この一大イベントには、日本の国技である大相撲と通じるところがたくさんある。それを確かめに5月19日に、国技館の五月場所に取材に行き、確信を持った。ひとつの国の永い歴史の上に成り立ってきたこと。花形である関取・選手は一握りだが、ひとつの産業をなすほどに多くの雇用を確保していること。そしてその仕事は現代には珍しくいまだ世襲である。
タニマチも存在する。放送時間をにらんでうまく時間内に収めてくれる。
そしてなによりも自国選手の制覇が久しくないこと。それでも人々はどこかに懐かしさを覚え、その歴史が続くことに幸せを感じているのである。
それでは、27回目となるツール・ド・フランスの取材へ行ってきます。現地からテレビには映らないような、こぼれ話を送ります。
文:山口 和幸
スポーツジャーナリスト。日本国内におけるツール・ド・フランスを取材する第一人者。
1989年にツール・ド・フランス初取材、1997年から現在まで、全日程を取材している。
著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」など。