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山口和幸のツール・ド・フランス取材レポート
#3「ツール・ド・フランスは欧州文化そのものだ」

15/07/13

世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスを初めて取材したのは1989年だった。NHKのテレビ番組でしか見たことのなかったこのスポーツの現場に足を運ぶと、まずはビックリしたことがある。沿道の人たちが底抜けに明るい笑顔でボクに手を振ってくれることだ。選手はもとよりチーム関係者や広告キャラバン隊ならそれも分かる。それどころか1,400人が帯同する取材陣にも沿道のすべての人たちが歓声を送る。「選手でもないのに」と、ちょっとうれしはずかしという気持ちだった。

しばらくして気がついたのは、「彼らは優雅なバカンスのひとときを利用して、ツール・ド・フランスというお祭りとして楽しんでいるだけなんだ」ということだ。沿道にはもちろん熱狂的なファンもいるのだが、欧州はこの時期バカンス真っ只中であり、家族連れなどの姿が一番目立つ。そういった人たちは決してレース状況に一喜一憂することなく、主役はあくまでも自分たちだというスタンスを崩さずに思い思いに楽しんでいる。だから関係者が通りかかればだれにでも声をかけるのだ。

国際映像はこのお祭りの最もエキサイティングなところだけを切り取って配信している。しかしその興奮の頂点をちょっと外れれば、沿道は意外なほどのんびりしている。実はこのスポーツは、コンペティションである部分は全体の一角にすぎない。その全容は社交であり、産業であり、バカンス時期に胸躍らせる庶民の娯楽であり…。日本では計り知れないほどの多様性をもって存在しているのである。

ツール・ド・フランスの特殊性はいろいろとある。まずは競技場を飛び出して開催されること。同じ公道を使ったマラソンの国際大会とも違うのは、毎年そのコースが激変し、左回りだったり右回りだったり。前者ならピレネーが前半でアルプスが後半の山場となる。後者ならその逆だ。世界随一の観光大国であるフランスのさまざまなエリアを訪問するので、ファンはまるで旅をしているかのように楽しむことができる。

©ASO/B.Bade

©ASO/X.Bourgois

沿道の人たちがレース展開に一喜一憂しているわけじゃないことも、ツール・ド・フランスが世界最高峰たるゆえんだ。選手たちがやってくる瞬間を興奮の最高潮としながらも、それ以外を含めた丸1日が楽しめるのだ。こうして23日間、町から町へと移動してフランスを旅する存在は、高度成長期に日本でもあったサーカス団のようだ。ワクワクとドキドキ。家族や地域の会話がはずむのは当然だ。もはや欧州になくてはならない存在なのである。

選ばれし198人の男たちは、主役でありながら楽しみを運んでくるピエロでもある。ゴールの町を宿場(エタップ)として全力でひた走るのだから、それはまさにカトリックの巡礼の旅を模したものとも言える。だからツール・ド・フランスは欧州文化そのものとボクは言い切っている。そして日本人が好む要素が盛り沢山ある。だから日本でツール・ド・フランスの魅力にとりつかれた人が増えているのも当然なのである。

さてさて、7月9日に開催された第6ステージのスタート地点には、清水勇人さいたま市長が来訪したこともあり、ツール・ド・フランスの最高権威であるクリスティアン・プリュドムがセレモニーの式場で「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」について言及している。「ツール・ド・フランスの本質を知ってもらうために、さいたまで行われる大会には4つのリーダージャージはもちろん、ステージ優勝者も日本に連れていきたい」とコメントした。残りのステージもますます目が離せない。

文:山口 和幸

©Yuzuru SUNADA

山口和幸
スポーツジャーナリスト。日本国内におけるツール・ド・フランスを取材する第一人者。
1989年にツール・ド・フランス初取材、1997年から現在まで、全日程を取材している。
著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」など。

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