ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム

  • 株式会社 イオン
  • 株式会社 エコ計画
  • 株式会社カネカ
  • クリーン工房
  • 株式会社サイオー
  • 埼玉トヨペット株式会社
  • 株式会社ヒト・コミュニケーションズ

NEWS & TOPICSお知らせ

くまのパディントンは中間スプリント賞を獲得している
ツール・ド・フランスの基礎知識 #17

23/7/19

ツール・ド・フランス2023の開催期間中、SNSでツール・ド・フランス現地レポートをお届けする、ライターの山口和幸さんのミニコラムをHPにてご紹介します!
今年のテーマは、「ツール・ド・フランスの基礎知識」。星の数ほどある伝説のストーリーから、テレビに映らない舞台裏まで。
現場取材30年の記者が21ステージにわたってコラムを連載します。
長年現地でツール・ド・フランスの取材をしている山口さんならではのコラムをお楽しみください!


Twitterでは山口さんの現地レポートをお届けしていますので、こちらもお楽しみに! https://twitter.com/saitamacrite


くまのパディントンは中間スプリント賞を獲得している

「というと、ムッシューはツール・ド・フランスをご存知ない?」

これは「くまのパディントン」シリーズのうち70年に初版発行された「パディントン、フランスへ」のなかに登場するセリフ。物語ではその後、三輪車に乗ったパディントンが選手団にまぎれ込み、中間スプリント賞を獲得してしまうという奇想天外な話が展開する。

ボクが最初にツール・ド・フランスを認識したのは、児童小説というわけだった。

ツール・ド・フランスが日本で大きく紹介されたのは1985年のNHK特集だ。この番組はおぼろげながら覚えている。ボクは1987年に出版社に就職し、そこで配属されたのがサイクルスポーツ編集部。フランス文学科卒業ということで、わけもわからず担当になったのが、この道にはまり込むきっかけだった。

1988年夏には休暇を取ってツール・ド・フランスを見に行った。スペインのデルガドというイケメン選手が総合優勝したのだが、パリ・シャンゼリゼ大通りの人垣に阻まれて、どこにデルガドがいるのか全く分からなかった記憶がある。

取材記者として初めて現地に足を踏み入れたのは、1989年のことだった。取材用の車に乗ってコースを走っていると、何時間も前から沿道に陣取っているファンがボクに向かって手を振ってくれた。「選手でもないのに、なんで応援してくれるんだろう?」とビックリした。

ずっとあとになって気づくのだが、ボクたち取材陣を含めたすべての関係者は、ファンにとっては「ツール・ド・フランスという一大サーカス団」の出演者で、だれであろうが関係なく手を振っているのだと。それならボクも一大イベントの歯車のひとつとしてピエロの役をしっかりこなしていかなきゃと思った。

それと同時に、沿道は拍子抜けするくらいに和やかで、レース展開に一喜一憂している人がそれほどいないのも意外だった。

考えてみたらそうだ。彼らのほとんどは7月のフランスで優雅なバカンスを過ごす人たちだ。余暇の目的地としてツール・ド・フランスの沿道に陣取ったが、せっかくなんだからスポーツしたりバーベキューしたり、いろいろ楽しまなくちゃ。

国際映像では「競技の部分」だけが断片的に切り取られて紹介されているのである。


(写真はイメージ)

プロフィール

ライター/山口 和幸 Kazuyuki Yamaguchi
ツール・ド・フランス取材歴30年のスポーツジャーナリスト。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」、「シマノ〜世界を制した自転車パーツ〜堺の町工場が世界標準となるまで」(光文社)。