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[HISTOIRE -歴史-]中央山塊のマンドは激坂で知られる
山口和幸の現地通信 #14

22/7/16

ツール・ド・フランス2022の開催期間中、SNSでツール・ド・フランス現地レポートをお届けしている、ライターの山口和幸さんのミニコラムをHPにてご紹介します!
CULTURE(文化)、HISTOIRE(歴史)、VOYAGE(旅)の3つのテーマでランダムにお届けします。
コラムを読んでいるだけで現地を旅する気分が味わえます。
長年現地でツール・ド・フランスの取材をしている山口さんならではのコラムをお楽しみください!


Twitterでは山口さんの現地レポートをお届けしていますので、こちらもお楽しみに! https://twitter.com/saitamacrite


[HISTOIRE -歴史-]中央山塊のマンドは激坂で知られる

マンドは中央山塊の激坂だ。ラスト3.5kmから2kmにわたって勾配値10.1%以上の上りが続く。残り2kmはほぼ平たん。最後の1kmは山の頂上にあるローカル飛行場の滑走路。その上にゴール地点を設営してしまったのだから、この日は終日飛行機の離発着はできない。

キャラバン隊も装飾を施した大型車両はマンドの激坂を上ることができない。隊の精鋭だけがマンドに集まった観客のためにゴールまでを行進する。それだけ厳しい上り坂だ。残り4km地点に、下界の教会や集落がきれいに見下ろせる場所があったのだが、ここで停車したら大観衆の前で坂道発進か、と不安が頭を過ぎったので止まらずにゴールへ。何度も言うけどそれほどまでに激坂なのだ。

ある年はマンドにゴールするステージで、チームバスがスタート地点で選手を降ろしたのち、マンドまで460kmの迂回コースを走らざるを得なかった。中央山塊は岩山ばかりで道路がそれほど多くない。バスは案の定ゴールに間に合わず、マンドの激坂のふもとに停車。選手たちはつまりゴールしたら逆走してバスに戻るハメになった。

早々にゴールした選手たちはすぐにUターンして下山し始めた。後続の選手たちが必死に上っているのに、である。最後尾がゴールしないのに表彰が始まることもある。ツール・ド・フランスはとても残酷だ。

マンドがゴールになったのは1995年が最初。7月14日、いわゆるフランス革命記念日にオンセ時代のローラン・ジャラベールが独走勝利した。その快挙を祝して、それ以来マンドの激坂は「ローラン・ジャラベール坂」と命名された。

フランス勢にとっては勝たなければいけない伝説の地とも言われる。それ以降、2005、2010、2015年と西暦で5の倍数の年にゴール地点として採用されていた。5回目となる2018年はその法則があてはまらなくなってしまい、2022年は6回目の訪問となる。

中央山塊を行く
©A.S.O.

プロフィール

ライター/山口 和幸 Kazuyuki Yamaguchi
ツール・ド・フランス取材歴30年のスポーツジャーナリスト。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」、「シマノ〜世界を制した自転車パーツ〜堺の町工場が世界標準となるまで」(光文社)。