[HISTOIRE - 歴史 - ]ラプランシュ・デ・ベルフィーユに「超」がついた
山口和幸の現地通信 #7
ツール・ド・フランス2022の開催期間中、SNSでツール・ド・フランス現地レポートをお届けしている、ライターの山口和幸さんのミニコラムをHPにてご紹介します!
CULTURE(文化)、HISTOIRE(歴史)、VOYAGE(旅)の3つのテーマでランダムにお届けします。
コラムを読んでいるだけで現地を旅する気分が味わえます。
長年現地でツール・ド・フランスの取材をしている山口さんならではのコラムをお楽しみください!
Twitterでは山口さんの現地レポートをお届けしていますので、こちらもお楽しみに! https://twitter.com/saitamacrite
[HISTOIRE - 歴史 - ]ラプランシュ・デ・ベルフィーユに「超」がついた
ラプランシュ・デ・ベルフィーユは最近になってコースに採用されたスキー場で、近年ではラルプデュエズに匹敵する勝負どころと銘打たれている。2022年最初の本格的な山岳コースは、このボージュ山脈のラ・シュペールプランシュ・デ・ベルフィーユが舞台。
近年の大会でも総合優勝争いに大きく関わってきたラ・プランシュデベルフィーユだが、2022年は「スーパー=フランス語はシュペール」の冠をつけた新コースで登場。前回の2019年よりも標高の高いところにゴールするのである。
かつてはラプランシュという炭鉱があり、その山の上にスキーで滑れる場所を作ったそうだ。2012年、2014年、2017年と常に大会前半の最初の山岳として登場し、このラプランシュ・デ・ベルフィーユの表彰台でマイヨジョーヌを着た選手が総合優勝している。
2012年の第7ステージでは、ブラッドリー・ウィギンスのアシスト役だったクリス・フルームが初優勝。フルームがスパートしたのは残り300mで、それまではいちおう献身的にウィギンスをけん引していたので、ウィギンスが首位に浮上し、表彰台でマイヨジョーヌを獲得した。
2014年の第10ステージのときはヴィンチェンツォ・ニーバリが優勝し、マイヨジョーヌを獲得。ウィギンスもニーバリもそのままパリまで首位を死守した。
2017年の第5ステージはファビオ・アルーが優勝。フルームはわずかに遅れたものの、ここでチームメートのゲラント・トーマスからマイヨジョーヌを譲り受けた。その後いったんはアルーに首位を譲ったが、最終的に総合優勝したのはフルームだった。
このラプランシュ・デ・ベルフィーユは特定の車両しか乗り入れることができないので、取材陣はコースとはまったく違うところにあって、ゴールまで14km離れたサルドプレスからシャトルバスで取材に向かうことになる。途中に観客用の駐車場もあり、熱心なファンはそこからピクニック道具を担いで勾配値24%の激坂を歩いて登る。
ラプランシュ・デ・ベルフィーユがゴールの日はいつも120km離れている地方都市ブザンソンに宿泊する。そこに至る道はまるで絵ハガキのような景色が延々と続く。1年目は道端に何回もクルマを駐めて写真を撮りまくったが、もう美しい景色に飽きてしまって、2回目以降はホテル直行。
2012年にステージ優勝したフルーム
©A.S.O.
プロフィール
ライター/山口 和幸 Kazuyuki Yamaguchi
ツール・ド・フランス取材歴30年のスポーツジャーナリスト。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」、「シマノ〜世界を制した自転車パーツ〜堺の町工場が世界標準となるまで」(光文社)。