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[HISTOIRE -歴史-]ピレネー物語
山口和幸の現地通信 #17

22/7/20

ツール・ド・フランス2022の開催期間中、SNSでツール・ド・フランス現地レポートをお届けしている、ライターの山口和幸さんのミニコラムをHPにてご紹介します!
CULTURE(文化)、HISTOIRE(歴史)、VOYAGE(旅)の3つのテーマでランダムにお届けします。
コラムを読んでいるだけで現地を旅する気分が味わえます。
長年現地でツール・ド・フランスの取材をしている山口さんならではのコラムをお楽しみください!


Twitterでは山口さんの現地レポートをお届けしていますので、こちらもお楽しみに! https://twitter.com/saitamacrite


[HISTOIRE -歴史-]ピレネー物語

1913年ツール・ド・フランス。大西洋に面したバイヨンヌからピレネー山中のリュションまで、距離326kmという第6ステージで伝説が生まれた。それを演じたのは、フランスのウジェーヌ・クリストフ。前年の総合2位で、フランス期待の選手だった。

クリストフは、コース途中にあるツールマレー峠の頂上を2位という絶好の位置で通過していた。ゴールまではまだ距離があったが、総合優勝を争うライバル選手は大きく遅れていた。悲願の総合優勝が大きく見えてきた瞬間だった。

しかしクリストフは下り坂で崖下に転がり落ち、鉄製のフロントフォークがその衝撃で真っ二つに折れてしまった。
「歩こう。とにかくゴールにたどり着こう。この区間を乗り越えたら、パリまでにチャンスが巡ってくるかもしれない」

折れた自転車を担いで歩き始め、14kmの道のりを歩いてたどり着いたのがサントマリー・ド・カンパンだ。1軒の小さな鍛冶屋に飛び込むと、折れたフレームを溶接するためにハンマーでパイプをつなぐ材料を打ち込み、その上から溶接して自らの手で修理をした。

すでに4時間が経過していた。さらに3分のペナルティも科せられた。それでもリュションにゴールしたのは奇跡に近かった。

しかし区間29位。失った時間は3時間50分14秒。この日終わってクリストフは首位から3時間22分16秒遅れの総合10位に大きく後退。そしてもちろんパリまでに逆転することは不可能だった。

サントマリー・ド・カンパンにあるかつての鍛冶屋は民家として現存する。伝説を伝えるプレートが壁にはめ込まれている
©Pressports.com

プロフィール

ライター/山口 和幸 Kazuyuki Yamaguchi
ツール・ド・フランス取材歴30年のスポーツジャーナリスト。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」、「シマノ〜世界を制した自転車パーツ〜堺の町工場が世界標準となるまで」(光文社)。