ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム

  • 株式会社 イオン
  • 株式会社 エコ計画
  • 株式会社カネカ
  • クリーン工房
  • 株式会社サイオー
  • 埼玉トヨペット株式会社
  • 株式会社ヒト・コミュニケーションズ

NEWS & TOPICSお知らせ

今中大介の「日本人初出場」が大会期間中に訂正される
ツール・ド・フランスの基礎知識 #5

23/7/5

ツール・ド・フランス2023の開催期間中、SNSでツール・ド・フランス現地レポートをお届けする、ライターの山口和幸さんのミニコラムをHPにてご紹介します!
今年のテーマは、「ツール・ド・フランスの基礎知識」。星の数ほどある伝説のストーリーから、テレビに映らない舞台裏まで。
現場取材30年の記者が21ステージにわたってコラムを連載します。
長年現地でツール・ド・フランスの取材をしている山口さんならではのコラムをお楽しみください!


Twitterでは山口さんの現地レポートをお届けしていますので、こちらもお楽しみに! https://twitter.com/saitamacrite


今中大介の「日本人初出場」が大会期間中に訂正される

1996年は日本自転車界が想像できなかった快挙が達成された。国体3連覇、ツール・ド・北海道3勝の実績を持つ今中大介がツール・ド・フランス出場を果たしたのだ。現地では「日本初の挑戦者」として大きく報じられた。大会初日の個人タイムトライアルでは、今中の上空に国際映像のヘリコプターが飛んだ。出身が数少ない原爆被災地である広島と知ると、ジャーナリストがコメントを求めて群がった。

日本でもひととおりの報道がなされた後に、過去の参加選手の中に日本人がいたことが判明した。1926年と27年、パリ在住の川室競が個人参加していたという。ただし当時は競技大会として確立されていた時期ではなく、川室自身も2大会ともに初日でリタイアしている。

そんなこともあって、ツール・ド・フランス参戦の今中を言及する際に、「日本人プロとして初」「戦後初」というただし書きが加えられるようになった。そうはいっても今中の功績が薄れることはまったくない。

今中は第14ステージでリタイアを遂げる。連日の高速レースに体力を消耗しきってしまったのだ。2009年に今中以来となる13年ぶりの出場を別府史之と新城幸也が果たし、日本初の完走者となったとき、「ボクとは違うレベルにある。本当にスゴい」と賛辞を送った今中だが、両者を単純に比較するのは誤りだ。

1990年代後半は走行距離が長く、選手たちは体力を消耗し続けた。1996年のトータル走行時間は2009年よりも10時間も長い。それなのに平均時速はあまり変わっていない。

「最近はレース時間が短くなったので、作業に余裕が生まれた。選手も早めにホテルに戻れるから回復にたっぷりと時間が取れる」とチームスタッフも証言している。

ゴール後の渋滞回避のために主催者が対策を完璧に講じたり、各チームがシャワー装備の豪華バスを所有するのが常識になったこともある。

ボク自身にとって今中の出場は衝撃だった。ツール・ド・フランスの景色の中に日本人がいることをイメージできなかったからだ。帰国後にサイクルスポーツ編集部のある出版社を退社。フリー記者となるのである。


現在はヘルメットなどの輸入代理店を経営する今中大介さん ©Pressports.com

プロフィール

ライター/山口 和幸 Kazuyuki Yamaguchi
ツール・ド・フランス取材歴30年のスポーツジャーナリスト。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」、「シマノ〜世界を制した自転車パーツ〜堺の町工場が世界標準となるまで」(光文社)。