ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム

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#5【番外編】どうして最終日にパリに凱旋しないのか

24/7/3

ツール・ド・フランス2024の開催期間中、SNSでツール・ド・フランス現地レポートをお届けしている、ライターの山口和幸さんのミニコラムをHPにてご紹介!

今年のテーマは、「さいたまクリテリウム歴代覇者ストーリー」。星の数ほどある伝説のストーリーから、テレビに映らない舞台裏まで。
現場取材30年の記者が21ステージにわたってコラムを連載中です。

本日は番外編をお届けします。
長年現地でツール・ド・フランスの取材をしている山口さんならではのコラムをお楽しみください!

Xでは山口さんの現地レポートをお届けしていますので、こちらもお楽しみに!
https://x.com/saitamacrite


五輪をリスペクト…ツール・ド・フランスがパリに凱旋しないワケ

第111回 ツール・ド・フランスは史上初めて、最終到着地がパリじゃない。イタリアのフィレンツェで開幕した23日後、地中海沿岸のニースに終着する。加えて35年ぶりに最終ステージがタイムトライアルとなり、最終日の逆転劇もありえる。だれも見たことのないツール・ド・フランスが演じられる舞台設定となった。

ツール・ド・フランスもパリ五輪の影響を大きく受けている。通常よりも1週間早い6月29日に開幕したこともそれが理由だ。最終日は7月21日で、その5日後にパリ五輪の開会式が行われる。すでにパリのコンコルド広場は新種目ブレイキンやBMXの会場が設置され、ツール・ド・フランスがいつものようにここを走る余地はない。五輪にパリを譲渡して、ニース凱旋を英断するのもツール・ド・フランスは話題性醸成の施策と考えたのである。

左回りのコースは通常、ピレネーが前半、アルプスが後半の勝負どころとなるが、2024年はアルプス〜ピレネー〜アルプスと変則。前半はブルゴーニュ地方、シャンパーニュ地方を訪れ、中盤に中央山塊が待ち構える。そしてアルプスを経て、最終日前日にニース近郊の山岳ステージ。いよいよ最終日に登場するニースとなるのだが、シャンゼリゼとは異なる道路事情から集団ゴールが相応しくないこともあって、35年ぶりの「フランス人の禁忌」が再現されることになる。

最終日はモナコをスタートし、フランスで最も美しいエズ村を通ってニースの目抜き通り、パリならシャンゼリゼに相当する「プロムナード・デザングレ=英国人の散歩道」までの個人タイムトライアルが行われる。ツール・ド・フランスが個人タイムトライアルを最終日に行うのは1989年以来35年ぶり。フランス革命200周年を祝う1989年大会は、最終日に50秒遅れの総合2位につけていた米国のグレッグ・レモンが、首位に立っていたフランスのローラン・フィニョンをまさかの大逆転。史上最僅差となる8秒で総合優勝を遂げた。

その時のフランス人のショックははかり知れず、以来 ツール・ド・フランスが最終日に個人タイムトライアルを設定することはなく、パリ・シャンゼリゼは総合優勝者の凱旋パレードという位置づけでフィナーレを迎え続けてきた。

一方、ニースのプロムナード・デザングレは、自転車に優しいまちづくりのために大通りの半分が自転車レーンになった。真ん中に緑地帯がある2車線道路で、大集団のゴールスプリントというよりは、南国の風情が漂うニースの目抜き通りを選手一人ひとりが疾駆する様がふさわしい。これも話題喚起のアイデアだ。

「この一生に一度の機会である」と、ツール・ド・フランス主催者

ニース市には熱い思いがある。紺碧に輝くコートダジュールのこの観光地は2020ツール・ド・フランスの開幕地として世界中にその魅力を発信するはずだった。しかし新型コロナウイルス感染拡大により異例の大会順延・秋開催。そしてスタートやゴールに観客を入れないという感染防止対策を余儀なくされた。今回は再び観光大国フランスの重要なリゾート拠点であることをアピールしたい。こうしてパリに入れないツール・ド・フランスを救ったのがニースだ。

個人タイムトライアルのスタート地点はモナコ公国だ。国境超えのクライマックスバトルとなることが予感される。モナコは1939年から2009年の間にツール・ド・フランスが6回訪問し、2024年が7回目のホストシティとなる。

2024年の五輪開会式は大会の歴史に残るものとなるはずだ。史上初めて、もはや一つのスタジアム内に集まるものでなく、首都のど真ん中で行われる。選手たちは壮大な船団に乗りセーヌ河岸を通り、セーヌ河の象徴的な橋の下をくぐり抜けていく。

大会はさらに歴史的遺産とのコラボレーションもするフランス的なアイデアが満載している。廃兵院(アンバリッド)はアーチェリー会場に、グランパレはフェンシングとテコンドーが行われ、文化とスポーツの融合に成功した。

競技の舞台は従来のスポーツ会場だけでなく、エッフェル塔の下でのビーチバレー、廃兵院として作られたアンバリッドで行われるアーチェリー、ルイ16世やマリー・アントワネットが断頭台の露と消えたコンコルド広場のBMXフリースタイル、グランパレでのフェンシングとテコンドー、ベルサイユ宮殿の馬術などスポーツと文化遺産を融合させる。自転車ロードのメイン会場はエッフェル塔の横を通って、セーヌ川にかかるイエナ橋を渡ってトロカデロにゴールする。

シャンゼリゼにゴールするのは1975年から

ツール・ド・フランスのフィナーレといえば首都パリのシャンゼリゼ大通りだった。ここを完全封鎖してサーキットとする一大スペクタクルなシーンだ。世界で最も美しいと言われるシャンゼリゼにツール・ド・フランスの選手たちが凱旋するようになったのは最近のことで、じつは1975年からだ。

1903年の第1回大会はこのイベントに対する評価がまだ得られなかったことがあり、パリには入城できなかった。ポルトと呼ばれる城門の外に位置するビルダブレにゴールするのが精いっぱいだったようだ。

その翌年から1966年まではパリ16区のパルク・デ・プランスに。当初は自転車競技場だった施設だが、現在はサッカープロチームのPSGが拠点とするサッカースタジアムとなっている。そして1967年から1974年までは、ブローニュの森とはパリ中心地をはさんで反対にあるバンセンヌの森にゴールした。

1975年からようやくシャンゼリゼがゴールとなり、2013年の100回記念大会からは、それまでエトワール凱旋門前で折り返していたコースを変更し、凱旋門を大回りするコースに変更された。

2019年には、その年の4月に火災で大きな被害を受けたノートルダム大聖堂があるセーヌ川の中洲、シテ島を走った。パリの象徴であり、火災によって多くの市民が涙を流して悲しんだ大聖堂をツール・ド・フランスが見舞ったのである。



2020ツール・ド・フランスの開幕地となったニース ©A.S.O. Pauline Ballet


プロムナード・デザングレのネグレスコホテル前を走る選手たち ©A.S.O. Pauline Ballet


パリ五輪トロカデロのイメージ画。ここにゴールするのは自転車ロードしかない ©Paris 2024 / Fiorian Hull


エッフェル塔とトロカデロをつなぐセーヌ川のイエナ橋 ©Paris 2024


ライター/山口 和幸 Kazuyuki Yamaguchi
ツール・ド・フランス取材歴30年のスポーツジャーナリスト。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に講談社現代新書「ツール・ド・フランス」、「シマノ〜世界を制した自転車パーツ〜堺の町工場が世界標準となるまで」(光文社)。